[mixi] 少し長い話をしよう。 (その5)

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この記事は 2007年5月5日 に書かれたものです

実家の経済状況がよくなかったことと、当面の資金の確保のため、まだ学籍があったことを利用し奨学金を借りる。1年半分を学費として親に渡し、残りを生活資金とする(そのホトンドは引越費用などで飛ぶのだが)。後は何をするかだ。そんなとき、一通のメールがやってきた。

当時西暦1999年、2000年問題で地球中がゆれていた。2000年になった瞬間を全世界にネットで中継しようというプロジェクトがはじまり、それに参加したい旨のメールを数ヶ月前に送っていたのだが、今になってやっと招集の知らせが届いたのだ。

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上京してから一番痛切に感じたのは距離である。
距離がコミュニケーションを阻むことを呪った。そんなときに出会ったのがインターネットだ。狂ったようにネットを使った。朝日が昇るまでチャットに明け暮れるなんてほとんど日常、毎日のようなものだったし、それがきっかけで電話をし、実際に遊びにも何度となく行った。もちろんホームページも解説した。徹夜で作り続けた。ココロの隙間を埋めるため、のめり込んでいった。実際、ゲームもこれからはネットワークを利用していくだろうと予測していたため(現在、確かに市場が急拡大しているためこのヨミは当たっている)、勉強変わりという免罪符も得ていた。おかげで毎月の通信費が収入の50%以上となっていた。

そんな状態がやがて進路も変えていく。
ゲームを作ろうという目的から、インターネット関連の仕事がしたいと思うようになっていたのだ。実際、家庭用ゲーム機市場は頭打ち状態なのに比べネット業界はネットバブルも手伝って好況が続いていた。

ネット社会になれば距離の壁を埋められる、そんなことを考えていたのだろう。だが、自分のココロの中にある矛盾に気がついていない。そうではなかったのだ。本当の目的を見失っていることに気がつかず、それが良かったのか悪かったのか、進み始めた時間を再びかけていく。

メールが到着してからは嵐のような数ヶ月間だった。
ホームページを作りまくっており、学校でプログラムの勉強をしっかりと学んでいたため、プロジェクト内でも活躍していた。この時、自分にはこれしかなかったのである。昼夜を問わず画面に向かい、必死に作って作って作りまくった。

実際にこのプロジェクト自体も、何か公的な団体がやっているわけではない、有志が集まって繰り広げられる、そう高1のころ、入部を決意した状態に非常に近かったと言える。そんな興奮も手伝い、将来にもちろん不安はあったが目の前のことだけに集中していた。

プロジェクトは佳境を迎える。
忙しさもピークに達する。この年は元旦に実家へ帰らず東京で年を越す。元旦、プロジェクトが行われている部屋に顔を出し、メンバーと一緒に時を過ごす。が、世界的には良かったのだが結局何事もなく2000年を迎え、プロジェクトは解散となった。

さて、ここからはまだ整理がついていないので駆け足で行こう。そのプロジェクトがきっかけとなり、リクルート入社。入社後、モバイルのプロジェクトが行われるが敗退。システム運用が中心の業務に嫌気がさしつつも日々を漫然とすごす中、とある外部のプロジェクトに参加するも途中で終了となる。色々なココロの葛藤があり大学に進むことを決意する。このころには少しずつ冷静さを取り戻し、演劇で食べることができないかを少しずつ模索しようとする。大学へもそのヒントと考える時間を得るために通い始めることに。だが予想以上に生活が厳しくなる。大企業でなおかつ今のポジションでは企画職としてサービス自体に設計に関わることが難しいなどの想いがあり、ベンチャーへの転職を決意する。すでに中堅企業となっていたが、ネット系ベンチャーの先駆けであるまぐまぐへ転職。動脈硬化気味の組織体質など、すでにベンチャーらしさがかき消えていた(最初あったかどうかは知らんが)。その後現在に至る。

つづく

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