[mixi] 少し長い話をしよう。 (その3)

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この記事は 2007年5月5日 に書かれたものです

高校時代、演劇に出会った。
というよりは創り上げることに出会ったといった方がしっくり来る気がする。そして、好きだと言える人にも出会った。

卒業後の進路を考える際、ボクは高校生のころに出会った物をまったく考慮せず、中学のころからの、この時はすでに“義務”となっていた道を深く考えず惰性でつき進んでしまう。もちろん今から考えればの話だ。当時はそんなことはみじんも感じなかった。それが全てを後悔することにつながるとも知らずに。

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高校へ入った私は、部活をやっていない生徒が入るクラブ活動という制度がありその中の「演劇スタッフ」へ入る。狡猾なのか度胸がないのか、最初から演劇部に入らなかったのはどうやら様子を見たかったらしい。

昨年まで休部状態で何十年ぶりに復活したらしいこと、昨年赴任してきた顧問が立ち上げその時の三年生が中心になって公演を行ったこと、1名しか昨年からの参加者がいないことを聞く。部室も間借り。夜間の生徒が使う美術室を拝借し、美術準備室の隅に道具などを置く、もちろん全校生徒の認知度はゼロに近い。

この追い詰められたような状況が逆に気に入ってしまい、速攻で入部を決める。こうやって振り返っても、いまいちこの感情の根底に何があったのか分からないのは、ひねた事態を好むという性質だ。ただし小さい頃から植え付けられている間違ったことはしてはならないという根性のおかげで、いわゆる不良行為や世間一般から悪印象をいだくような物は生理的に嫌悪感を抱くためNG。気がつけば「正しい非日常」なことを望むようになっていた。

たまたま同じ部内にいた2年の先輩が会長をやっていたのがきっかけで副会長に立候補することになるのだが、これも「正しい非日常」の一環だと思われる。

演劇部の一年は運動部と同じように大会形式になっており、9月地区大会、10~11月県大会、11~12月ブロック大会、翌年夏に全国大会(毎年開催される都道府県が変わる)、その中の上位校が東京の国立劇場でさらに公演を行う。1~3月は市内の学校が集まり舞台を作る。地区大会ではキャパ600人程度の劇場で演じる。一度1000人程度の前でやったことも。

学祭と公演の時期が重なっていたため、9月ごろになると19:00まで生徒会、それから21:00程度まで部活。22:20の電車に乗り、家に帰るころには23:00を超えている。翌日6:00に起きて学校に行くのが普通の生活。(平日よりは早く帰るが)もちろん土日返上。夏休みには校内にある施設で合宿。有志で全国大会やブロック大会を見に行く(もちろん常に参加)ため、一年に50本以上は芝居を見ていた計算になる。そうだ、他校にもよく遊びに行った。合宿にもお邪魔したりされたりした。終電がなくなるまで練習した時にはクルマで送ってもらい、途中の駐車場で何時間も芝居について語り明かした。

生徒会の方はと言えば、会長になった歳の挨拶が強烈だったのか、私のことを知らない生徒は校内に一人もいない。それまで前の代がやっていたことを何となく引き継いでいたのを私の代からいくつか刷新する。先生の方からも任期の見直し案などを実施したいといった話が出る。休み時間も職員室のパソコンを占領し、当時、校内でもっとも校務を行い高校生だったのではないだろうか。

さらにバイトもイベントスタッフ、皿洗い、もちつき、コンビニと三年間のうち、部活の忙しくない時期にやりまくり、三年時の卒業公演の際には、諸々の費用に充てるなどしていた。

一言で言えばこれ以上ないくらい充実していた。
中学まで何となく日常を過ごしてきたのが、学園ドラマのように、すぎる毎日に時間の経過を忘れていた。当時の自分は胃が痛くなることもしばしばあり、実際何度このまま帰ってやろうかと思ったことか。回りからのプレッシャーに押しつぶされそうにのを必死に押さえ歯を食いしばってやっていた。元来、さほど強い精神力をもっているわけではなく、どちらかというと弱く、後に引きづりやすい性質なため、とても楽ではなく正直に言えばつらい日々だった。しかし、舞台を終えた後の達成感を知ってしまう。生徒会の仕事も同様だ。だから乗り越えようと思ったのだろう。実際、ココロのそこから楽しいと思えたのは、ブロック大会と最後の卒業公演の時だろう。身震いがするほど楽しいと感じていた。このままこの時間が終わらなければ良いのにと。

だが、入学した時から卒業するまでの時間はきまっている。
進路の相談がやってきた。日常に忙しかった私は深く考えるまでもなく、ゲーム業界に行くことを考えていた。大学に行くのは遠回りだが、高卒で入るには厳しそうだという短絡的な思考から専門学校に通うことを決める。全く考えなかったわけではない。「演劇では食べられない」という現実が分かっていた。食べられないというのは「正しくない日常」であると、ココロが自然と突っぱねていた。浮ついた職業であるという認識もあった。浮ついた職業もココロは受け入れなかったのである。

そして、卒業公演が終われば、芝居へ向けた気持ちも一段落するかと思っていたというのもある。だが全くの逆だったのだ。むしろ不満な点がゾクゾクとでてくる。次はこうやればうまくいくのではないか、そんな想いにかられた。

専門学校には書類選考だけで通った。まぁこれはどこも似たようなものだ。

進路は決めていた。
だが、ココロはまとまらずこれで本当に良いのか迷いながら、卒業後、東京を目指した。あの時はただただ、その道を進む以外に頭が働かなかった。

演劇よりも大きな未解決の問題が行く手を阻んでいることを、この時の自分は知らずにいた。やがて来る大きな壁の前でただ膝を落とす。

つづく

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