「目的地を定めなければ、そこには決して辿り着けない。でも、悠二は見つけて、定めた。なら、後は進めばいい」 自分の望みが向かえばすぐにでも叶えられそうな万能感に包まれる。今はそれが錯覚だと分かって、しかしそれでも、 「うん」 強く強く、頷き返し、手を握り返していた。
「大きな望みとは、まずもって誰かから笑われるものだ。笑われたまま終わるのも、笑いを感嘆に変えるも、それは望んだ者のなし得た事跡次第だ」
少し長い話をしよう。
春にしては少し強い日差しを浴びながら、多摩川の土手を一人歩きながら自分のことを考えていた。自分は今、なぜここに立っているのだろうか?これからどこに歩いていくのか。たまたま高校の前を通る。部活だろうか?川辺に整地された校庭で生徒達が走り回っていた。そう、自分の人生が自分の意思で初めて変わったと思えるのは高校に入学してからだった。
中学三年生。もともと学校の勉強があまり好きでなかった私は、高校でも普通教科を三年間も習うという現実がココロから億劫だと思っていた。かといって就職するのも実家の農作業を手伝うという選択肢もなかった。丁度通っていた中学がまだ当時珍しかったパソコン導入のモデル校になり、週に一度全員が参加するクラブ活動でさわり人並み以上に興味をしめしていたこともあり、工業高校への進学を決めた。情報処理科が存在していなかったため一番近いと思われる電子科を選択。単純に好きなことがしたかった、というよりは好きなことしかしたくなかった。
この時の決断は当時としてはそう間違ってはいなかったように思う。将来への打算があったというのもある。
中二の頃に友人から発売された間もなかったRPGを借りた。我が家ではファミコンなどのゲーム機を買ってもらえず、中学に入ってから小遣いを貯めてようやく自分で購入。それを聞いた友人がソフトを貸してくれたのだ。家でやる初めてのゲームということで興奮していたということもあったのだろう、丹念に一つ一つのイベントを味わい、終盤に近づくにつれそのストーリーに感動し何度涙を流したことか。
こんな人を感動させることのできる物がこの世にあるのなら、自分もそれを作りたいと、この時思ったのだ。しかし具体的に何がしたいのだろう。ゲーム作りについて子供なりに調べると企画を立てたり、プログラムを組んだりするらしいことが分かった。中学のクラブ活動の際にプログラムのまねごとをしていたので何となくパソコンを使えばゲームが作れることは理解していた。そして、調べる過程でプログラマがそれなりの給料をもらえる、うまくいけば高給取りであることを知る。
私の父親は婿養子として我が家に来たが私が生まれる前に家を出ていった。その後母親と年老いた祖父と祖母に育てられた。母親は売店の店員、祖父は農業を、祖母は祖父を手伝いながら家事を行っていた。とても裕福な生活とは言えず、父親が家を出たのもそこに端を発するらしい。農業なんてするものではない、農業ではこれから食べていけないという祖父の言葉を小さい頃から聞かされ育った私は、「ビルの中で働仕事」を望まれているのではないかという重いから、この道をたどれば全てうまく行くのではないかと考えていた。ゲームを作る人になる、この時それが当面の人生の目標となった。そのためには普通高校へ行くよりも工業高校へ行く方が近道のような気がした。わたしが工業へと進んだのは自然な流れだったのだ。
ここまでのことを私は誰にも相談はおろか話しておらず、ただ家族に「工業へ行く」と伝えただけだった。それまでの生活から、家族に聞いても良いアドバイスは得られないと思ったのと、もし話して自分の中に初めてともった将来への希望を否定さえるのが怖かったのだろう。中三の担任にも進路希望には工業と明記していたが、その理由は家族と似たような理由で告げなかったように思う。
その後、推薦が決まり面接をうけ、見事希望していた電子科への入学が決まる。それまで保険変わりに毎晩ラジオを聞きながら行っていた受験勉強もそこで終わり。春に向けて学校案内を読みながら新しい生活に胸を高鳴らせていた。これまで社会がひいてくれていたレールから、ようやく自分が選んだ初めての道へ、その一歩を進むことができるのだ。
この頃から演劇部へ入ることを実は決めていた。舞台を作って人を面白いと思わせる、その行為は自分の進む道に非常に近い気がしたからだ。未来の話をすれば、このころの「ゲームを作る」という思いは本人も気がつかないうちに少しずつ、年々衰えることになり、それは高校を卒業した後の進路を選ぶ際に深く影響してくる。
土手を歩いていると、住宅街の前だろうか、数人の幼稚園くらいの女の子が目の前を母親に向かってかけていく。
私が人に面白いと思われることをしたい、それが表に出てきたのは、この頃の影響が強いのではないかと今冷静に振り返るとそう思えてならない。その想いが、ゲームと出会い、演劇と出会った。またまた出会ったそれらが自分の生きる道を形作る何かだと、その時々で思った。思ってしまった。だからその道を進もことに義務感を感じるようになった。誰かが押しつけたわけではない、自分でそのジレンマに落ちていったのだ。
つづく