以前、「人は夜になると死に、また朝になると生まれる」みたいな言葉を聞いたことがあります。
それを考えると、朝焼けがうれしいのはこれから来る人生に希望を持っているから、夕焼けがもの悲しいのは最後の輝きを見て、これから来る別離に胸を焦がされるからなのでしょう。大切な人と一緒に夜を過ごしたいのは最後の時まで同じ時間を過ごしたいからという人の本能なのかもしれないですね。
さて、夕焼けがあまりにキレイに見えたので、今日は衝動的に多摩川の河原を歩いてみる。
河原沿いには高い建物がほとんどなく大きな空が開けているのです。青い空だった所にため息をつくほど美しいうすく明るい朱色のグラデーションが混じり合う。それが川面に、ビルに、そこここを歩く人たちに振り下ろされる。
やがて西の空へと帰って行く太陽。 朱色に染まった街を濃い藍色が取り戻し始める。それに要する時間はわずか数十分。コオロギの鳴き声が次第に大きくなる。せまる闇と同じスピードで街には明かりが灯り、電車から漏れる光が家路につく人々を急がせ、空には星々が輝き出す。
1時間もかからずに起こった天体ショー。それによって移り変わる景色、遠くに見える一つ一つの窓の明かりの中にいる人たち。虫や草花、風のながれが変わる。
地球がただ回っているということで、こんなにもたくさんの影響が当たり前のように起こる世界に住んでるんだと、(冷静に考えると当たり前のことなのだけど)ふと、実感しました。宇宙レベルで周りを見渡すと、あらゆる事象が関連づけられているのですね。あまりの規模の大きさにダイナミズムも感じれば、某ラノベのように1人の小ささも実感しました。
なんでこれまでこんな当たり前のことを考えなかったのでしょうね。たまに空を見上げてみると、いろいろなことが浮かんでくるのですよ。
宇宙は、すぐそこにあるのですな。